大学生の巨人ファン

大学生であるブログ主が全力でジャイアンツを応援するブログ。

8/16 巨人0-3阪神 自虐、自虐、また自虐

シン

ヘルナンデスのセンターの守備は厳しい。最近の巨人は比較的安定していたが、その要因は佐々木の守備だ。守備範囲の広い佐々木が丸とキャベッジをカバーすることで、落ち着いた守りを展開できていたはず。しかし、要のセンターがお粗末だと、アウトがヒット、ヒットがツーベースになってしまう。

今季前半ではヘルナンデスがエラーをしまくり、2・3年前は丸の守備範囲に投手陣は泣いた。佐々木を使わないならせめてオコエ。守備力が低い丸とキャベッジを両翼で使う以上、センターの守備力は極めて重要だ。ましてや現代の野球は投高打低。余計なヒット、余計な進塁は命取りになる。


何度も阿部監督の諦観、自虐めいた発言を指摘している本ブログ。今日も触れざるを得ない。こんな言葉を監督が吐いていいのか?このチームは阿部監督が作り上げたもの。良いことも悪いことも、功罪の責任は阿部監督にある。



こんな自虐コメントで何の得があるのか?阿部監督はユーモアのつもりでいったのかもしれない。だが彼の発言は、人を明るくするものではない。むしろ暗くさせるものではないか。上の記事では「苦笑」と表現しているが、阿部監督の笑いは「嘲笑・冷笑」だ。

相手はプロ。負けるのは当然。重要なのは負け方だし、負けたあとの立ち振る舞い。岡本がいない打線を嘆き、帰ってきたと思うと戸郷グリフィンなど不在の先発陣を自虐する始末。そもそも離脱するようなマネジメントをとった指揮官にも責任はあるし、いない人間を求めても話は進まない。


他の先発ピッチャー、若手にチャンス、で終わればいいものを、一言余計なのだ。まあ、ここでの一言余計とは、うっかりだの、ついついだのではなく、その人間の本質に由来する。最後にポロっとでた言葉に人間の本性はでるのだ。諦め、嘆き、自虐する阿部監督。果たして彼に、将たる器はあるのだろうか?